夜に旗を振る

※音楽とか文房具の話とか。個人の感想です。

脊髄でついったー考

ヒウィッヒ騒動以降についったー始めた人が増えた(ように見える)みたいで、使い方についていろんな意見が出てるのを見ていると、自分の中にある明文化されないガイドラインがどんなものなのかが分かってきて面白い。"なう"は単純にかわいくないので使いたくないとか。外から見ると"なに内輪で盛り上がってんのキモッ"って反応が多いみたいだし(Y!掲示板のネガコメとか)、あまり使ってない人がついったキモッって書いてあるのも見たけど、使ってから言えばいいのにって思う。でも、ネガコメの人は使わないんだろうし、そういう人をまず取り込めないのはサービスとして弱いってことなのか。

ついったーの大きな特徴は、ユーザによってタイムライン(TL)が全く違うところ、Followする相手を自分で取捨選択することでTLを自分で作っていくもの、ってところにあるから、自分のTLだけでサービスの何かを判断するのは危険だし、使わないでガーガー言うのは機会損失じゃないかな。

使ってない人はTLが個人ごとに全く違う表情を持つことを認識できなくて、2ちゃんやみくしコミュスレの祭みたいに参加者がみんな同じ情報量のフローを見ながら騒いでると思ってるのかな。*1

面白いか面白くないかはあなたのフォロー次第です、って自己責任的に突き放すとユーザは増えなくて、フォローを増やしてみても定期的に手入れをする必要があるとライトユーザには手間に思えて続かなかったりするのかな。最初は知り合いばかりとか、登録時のオススメユーザだけでもいいけど(あの人選、何が基準なんだろう。それぞれのユーザ間に関連ないし、情報が点として与えられてもうまく処理できない人が多いんじゃないかな)、友達の友達とか、ふぁぼったーやまなめさいとでまとめられてる人の中で自分の興味を引く発言をしている人を増やしていくと、あるところで点だった情報が線になってくるような感覚の変化があって俄然面白くなるので、それを経験しないでやめちゃうのはもったいない。

コイツ気に食わねblockしたるってのも自由だけど、同じ分野に興味があるけど異なる見解を持つ傾向のある人をフォローしていると、ものの見方がいろいろ知れて面白い。そもそも、自分が求めているものは情報で、ついったはその幅や厚みを増やすためのツールで、ツールを使った結果として自分が新しい情報なり、有形無形の価値を提供していければいいなとなんとなく感じているのだと思う。


とは言っても、どう使えって決まりがあるわけじゃないので、使うのもやめるのも、オープンにするのもクローズにするのもその人の勝手ではあるんですが、「情報は、情報を持っている・発信している人に集まる」ってことはついったーでも感じるところです。

*1:いや別にみくしを槍玉に挙げようとは思ってないんだけど、わたしはみくしのほうが馴れ合いっぽくて苦手だからバイアスかかってるのでしょうきっと